Living in the material world
October 22, 2017

ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリソンのドキュメンタリー映画
「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を
ようやく観ました。
この映画はジョージの家族、ビートルズの仲間たち、
交流のあった人々のインタビューを中心に構成されていてとても興味深かったです。
時代の脚光を華々しく浴びたバンドにいながら、
仏門の僧侶のように、次第に精神世界の求道者になってゆく姿と、
その一方で様々な分野の人々と交わり、非常に社交的であったということが
淡々と映画の中で語られています。
自分の内面を掘り下げてゆくことと、
他人に対して社交性を持つことは矛盾しない。という面が、
この映画で語られていることの中でとくに惹かれる要素でした。
ジョージが自作の楽曲で歌っている内容は老荘思想/タオイズムに
近いものがあって、物質世界や人間の争いの馬鹿馬鹿しさを取り上げたものと、
慈しみと皮肉が入り混じっているものが多い。
晩年は暴漢に刺されたり、病気を患い、
体調を崩して2001年に亡くなってしまう。
ジョン・レノンやビートルズが歌っていたことや主張していた内容は
このジョージの姿と重なる。
それは、もしこの世に平和というものが存在するなら、
どうすることによって平和はもたらされるのか、という問いかけのよう。
世の中で、力や暴力によって物事を解決しようとすることは
根本的に誤りであるということ。
そして、自分に常識があると思っている人は、自分を疑わないので、
そういう事を行ったりする。
力でもって他人を押さえつけようとする、という方法は、
他の手段を持たないことの証明であり、
何の解決も生まないばかりか、自らを誤りであると言っているようなもの。
大切なのは、根底で他者に対して穏やかな気持ちを持ちながら、
他者に甘えず生きていることだと思う。
そう思っていると、
不思議にそういう人たちに囲まれてゆく。
面白さや喜びを共有できる人たちとつながってゆく。
それが平和の面白さかも知れない。
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